国鉄労働組合東京地本大会に 笠井亮衆院議員とあいさつ
05.10.2
2日、千代田区内の発明会館で開かれた国労大会に出席しました。
JR西日本の脱線事故など公共交通のあり方がさけばれ、一方、労働者 への不当な差別攻撃などかかえる緊迫した大会でした。新しく議員になった笠井亮議員が挨拶、私も代議員のみなさんにご挨拶しました。
小料理屋さんが開店三周年祝い
05.9.17
世田谷1丁目の小料理屋、「いづも」を経営する塩田さんの店の開店三周年お祝いの会が17日、地域の商店や町会のみなさんを招待して盛大におこなわれました。
おふくろの味を楽しんでもらっているお客さんも多数参加して、盛り上げました。
お世話になっている私も参加して、ご挨拶しました。帰りに地元のクッキー屋が作ったお菓子をいただきました。
東京土建の運動会、組合員が競う
05.9.11
11日、世田谷総合グランドで土建の世田谷支部運動会が開かれました。
私も参加し組合員のみなさんとラジオ体操など楽しみました。日頃、政治運動だけで身体をうごかさない私には、運動会はきつい。その一言です。
真夏の残る天気のもと楽しんだ一日でした。
衆院選で自民・公明・民主に明白な審判を
2005.8.26
小泉政治の「改革」が都民に痛烈な痛みをあたえています。
たぞえ都議は、小泉増税の都民影響について、税金を徴収している都主税局から聞き取りをおこないました。
定率減税の廃止は都民の45%にあたる548万人で164億円、配偶者特別控除は10%の118万人で66億円、公的年金等控除の縮減は5%の60万人85億円など被害がでています。
金額は、都の住民税部分で、これとは別に同じ額が所得税として増税されています。
増税は来年度もおこなわれる上、さらにサラリーマン増税を実施すれば景気は一気に冷え込んでしまいます。
「痛みにはもうたえられない」「生活設計がこわれ食べるだけで精一杯」と悲鳴り声がおこっています。
こんな大増税はストップさせるしかありません。
いよいよ、小泉痛みの改革を推進している自民党・公明党と後押ししている民主党への審判をくだす衆院選挙がはじまります。私は、日本共産党の躍進にがんばります。
6.4日本共産党躍進のつどいに参加
2005.6.4
日本共産党躍進のつどいが4日、代々木公園でひらかれ、1万2千人が参加しました。
私も43人の日本共産党の都議予定候補の1人として壇上で紹介されました。志位委員長の訴えに、東京燃ゆ、東京は1つの決意がみなぎる「つどい」となりました。
憲法9条を愛する烏山地域の会 5・3フェステバルに参加
2005.5.5
憲法施行58周年の記念日、5月3日、千歳烏山の区民ホール前の広場でフぇステバるが盛大に開かれました。この集いに先立ち、午前開かれた集会で会が発足しました。
広場では私の前の職場の同僚が沖縄のエイサーを踊り、通り掛かりの人々が立ち止まりました。
トークでは私も発言。憲法改悪のたくらみをはねかえそうと訴えました。
連休の区内公園を訪ね宣伝
2005.5.5
連休の3日、5日と区内の大きな公園で「小児救急医療の拡充を」とノボリ旗を持ってパンフレットを配布しました。
公園では家族連れがいっぱい。シートをひいて遊んでいた親子は「わたしにも下さい」とパンフレットをむさぶるようにもらい読んでいました。
公園入り口で私がパンフレットを紹介し憲法記念日のあたっての私の誓いを訴えました。
区内各地で花見が盛大に
2005.4 .
世田谷には,桜、桜ヶ丘、桜上水、桜新町の4つの桜がつく町名があります。
4月3・4日は桜の花見会が集中しました。私が訪ねたのは後援会関係で4ヶ所、民主団体で4ヶ所。どこも20−30人が集まり選挙での前進を誓い合い、都政を変えようと決意を交流し合いました。写真は、世田谷民主商工会の花見で砧ファミリーパークで手作りの料理を楽しみました。
区労連大会であいさつ
2005.2.19
区労連大会が2月19日区内で開かれました。私が、日本共産党を代表してあいさつしました。会場から大きな拍手がよせられました。
あいさつの要旨は次ぎのとおりです。
第一はたたかってくらしを向上させることです。日本では1970年代のオイルショック以降、賃上げはわずかになり、最近ではゼロになってしまいました。欧米諸国では労働生産性に見合った賃上げを実現していますが、唯一例外は日本だけです。4年連続で1兆円の利益と裏腹に4年連続のベアゼロのトヨタ。なぜこんな事態になっているのでしょうか。それは日本の労組幹部が企業の生き残りを優先させて、行きすぎた労使協調を続けているからです。
今後日本は人口減少社会になり、投資が減るため国内総生産は縮小していきます。日本の景気がフラフラしているのは消費の不足が原因です。投資減をおぎなうためには消費しかなく、そのためには賃上げは絶対必要なのです。「企業は利益を社会に還元せよ」「リストラ、ベアゼロは許さない」「もう黙っていられない」この声をかかげてがんばろうではありませんか。
第二に、国の政治を変えるため、政治のどんな流れを前進するかです。国政では今年から来年にかけて小泉政権が定率減税の廃止、年金保険料の引き上げなど七兆円の大増税、大負担を押しつけてきました。再来年は消費税10%の増税が計画されています。勤労者所得は毎年3兆円から6兆円落ち込んでいる.こんな時、大増税をおこなったら日本経済は大打撃になることは明らかです。また、自公民が憲法9条改悪を競い合い、日本をふたたび戦争する国にしようとする動きが強まっています。終戦60周年をむかえた今年、ふたたび戦争の戦禍をくりかえさせないため、9条をこわすあらゆる企てを許してはなりません。みなさん、7月の東京都議選は国政の審判をくだすチャンスです。また、福祉切り捨て、大規模開発中心の都政をあらため、憲法を守り生かす都政への改革のチャンスです。日本共産党は2代政党と正面から対決し、都民要求実現の道をひらくたたかいを進めているただ一つの政党です。世田谷での議席回復のためにも、全力でがんばります。働く人々の暮らしを守るためにともにたたかおうではありませんか。 |
都議会定例会を傍聴して
2004.12.29
議席を失ってから3年半、毎回の都議会定例会を傍聴してきました。傍聴席から論戦を聞いていると、都政が今どこに向かって進もうとしているか、良くわかります。
今回の第四回定例会では、8日の代表質問と閉会日15日の討論を聞きました。この中で、日本共産党が都税収入が5000億円、そのうち都が使えるのは4000億円増収になることを明らかにしました。この財源を都民の介護保険負担軽減、特別養護老人ホームの増設や、保育所の増設、乳幼児医療費助成の中学生までの拡大、空交番への警察官の配置など暮らしと安全に使うのか、それとも、大型開発などに湯水のように使うのか、都政の舵向きのあり方が問われていることを痛感しました。
それにしても石原知事の右傾化がより強く、共産党への憎しみが手にとるようにわかる議会でした。「命をすてても憲法を破る」との発言は1200万都民の体表なのか、この知事の都政運営をささえている政党の真価が今ほど問われているのではないか思いを強くしました。
年明けには来年度予算を審議する定例議会が始まります。しっかりと都政の向きを見定めて世田谷での政策提案をしていこうと考えています。
自然とむきあい、安心できる河川どうつくるか
2004.12.9
仙川は、小金井の水源から全長20kmにわたる多摩川水系の河川です。.区内の距離は6・3kmで動植物や水鳥を楽しめます。
鳥類では、群れをなすカモ類のほか、ユリカモメ、ゴイサギ、コサギ、セキレイ類が見られます。昔、流域一帯はほとんど水田でした。川の水は田畑をうるおし、野菜洗いや生活用水に使われていました。
今では全域にわたってコンクリート護岸になり、川がカーブする地点にできた洲や中州は鳥や魚類の生息地になってきました。
今、急速に開発される町の都市化によって集中豪雨が河川をはんらんさせ、都市生活に影響をあたえています。
また、河川の人工化が原因で、取水堰堤、落差工など河道を横断する工作物などによって河川環境が大きく変わろうとしています。
また、水生植物による水の浄化は有機性汚濁質の分解やりんや窒素などの栄養塩類を除去する役割をはたし、未処理の生活廃水の浄化されてきましたが、大量の水量や極端な水量不足は本来の浄化の役割を低めてしまいました。
一時まで仙川は世田谷で水質が一番汚染されているとまで名がつき、有名でした。 しかし、住民の努力で水辺に質のよい自然環境保全・復元への取り組みがおこなわれています。
私たちにとって、水辺の生き物と共存する、ゆとりある都市河川をつくるには、まず過度の集中を抑制する計画的な都市づくりが求められています。また、人間の都合一辺倒の開発と整備によって、荒廃している河川の再生をどうするか、私たちは今考える時ではないでしょうか。
突風の中、障害者の福祉まつりが
2004.12.5
暴風が吹き荒れた5日、世田谷区役所広場で福祉まつりが開かれ、私も参加しました。ボランティア団体や障害者団体がいろどりの作品を展示し、販売しました。
強風でテントはすべて撤去されましたが、ホールや集会室の施設も使っての作品発表に参加者はじっくり観賞していました。
区の職員もまつりを支えるため、日曜日でしたが出番でがんばっていました。私は、団体の作品を見て周り、障害を持つ方々の力作に感動しました。東京都は、障害者の生活実習所や福祉作業所の民間移譲をすすめるなど、この5年間に661億円の福祉予算をきりすててきました。東京の福祉は冬の時代になり、きりすての被害は参加した人々にまでおよんでいると思うと、怒りがこみあげてきました。
多摩川の河川敷で盛大にバーベキュウー
2004.11.23
11月23日晴天にめぐまれた世田谷の多摩川河川敷で、奥沢、尾山台、等々力地域の後援会のみなさんと、バーベキュウ―を楽しみました。
山並みを望み、ゆっくりと流れる多摩川を見ながら、2歳児から高齢者まで総勢30人が1日を楽しみました。
子どもたちは、ボール投げ、大人は草むらに腰をおろしてワインを飲みながらのんびりした1日を過ごしました。
地域の方が用意した特別の焼肉たれをつけた牛肉や野菜を炭で焼き、みんながその味を楽しみました。私は、「自然の中で楽しく、そして、来年の選挙にむけて交流できて感激しています。励ましにこたえがんばります」とお礼しました。
船橋ふれあいまつりに行ってきました
2004.11.3
3日、区内の船橋地域で「第15回船橋ふれあいまつり」が希望が丘公園で開かれました。天気もよく地域の親子連れの参加者をはじめ、大勢の人々が秋の1日を楽しんでいました。
私は、希望が丘団地自治会の額賀会長と一緒に抹茶を楽しみ,会長の案内で会場を見て廻りました。
驚いたのは、抹茶100円は新潟県中越地震被災者への義援金として送られるとの事。
子どもたちが舞台で個性的な服装をまとって、音楽にのって踊る姿はすがすがしいそのものです。毎年のまつりですが、日本の文化は引き継がれていると実感しました。
公正・民主の都教育委員が園遊会で問題発言
2004.10.29
28日、都内で開かれた秋の園遊会で、天皇が、国家斉唱や国旗の掲揚について「強制は望ましくない」と発言する場面があり、テレビで写し出された姿に驚きました。
招待者の東京都教育委員会委員で棋士の米長邦雄氏との会話の中で、米長邦長氏が「日本中の学校で国旗を揚げさせて、国家を斉唱させるのがわたしの仕事でございます」と話すと,天皇は「やはり、強制になるという考え方でないことが望ましいですね」と応じました。
都教育委員会は昨年11月、式典での国旗掲揚と君が代斉唱を徹底するよう通達。今春、通達に従わなかった教職員238人を地方公務員法違反に基づき懲戒処分にしています。
烏山地域の芦花まつりに参加しました
2004.10.24

芦花まつりが旧甲州街道を使って盛大に開かれました。模擬店には204店が応募しましたが、出店できたのは100店だったと高橋実行委員長が紹介していました。道路の幅いっぱいに並んだ店舗では世田谷産の野菜をはじめ衣服など販売していました。日大桜ヶ丘高校のブラスバンド部の生徒による演奏で一気に盛り上がりました。
私も高校時代のブラスバンド部にいたので、感心して聞きほれました。会場で甘酒をいただきました。ありがとうございました。楽しい交流のひとときでした。
文化後援会の人々と一緒に街頭宣伝をおこないました 2004.10.24 
三軒茶屋駅前で歌人の碓田のぼるさん、民謡歌手の山県三郎さん、日本子どもを守る会顧問の中村博さんと一緒に街頭宣伝をおこないました。
この日は「三茶de大道芸」が開催されている最中で、大勢の人々が行き交っていました。このイベントは、地域のみなさんがつくる世田谷アートタウン2004実行委員会が開いたものです。大変な盛り上がりでした。
宣伝では、文化後援会らしくアコーディオン奏者の新井幸子さんの演奏、また、山県さんも民謡を二曲披露し喝采を受けていました。私も車上から訴えました。
和光学園丸木先生の80歳の誕生日を祝う会に参加しました
2004.10.10
私の母校、青春の職場である私立和光学園の園長、丸木政臣先生の80歳の誕生を祝う会に参加してきました。
会場には都立大学総長や日本子どもを守る会中野光会長、卒業生で作曲家の三枝成彰氏、教職員組合の役員をはじめ各界から著名人が参加しました。
丸木先生は私が大学生の時、教職課程の授業をしてくれた恩師で、教育の実践でも大変すばらしい方です。いつまでも健康で、頑張ってほしいと願っています。
04 核の配置、先制攻撃……米軍基地いいなりをあらためる年に
──世界大会に参加して
東京からの新幹線が広島に近づく時間になり、私の心はすっかり高ぶった。それは、今年の大会がイラクでの占領軍による激しい攻撃で,子どもや女性が殺害され、さらには北朝鮮での核疑惑、日本の原発事故など、核兵器の存在が世界の国々からレッドカードが発せられているもとで開かれたからだ。開会総会はそんな運動を反映してか、「すごい」その一言に尽きる。感動と言うのは、呆然とは訪れない。その渦の中にいて雰囲気が自分の高ぶる気持ちと一緒になったとき、身体がふるえだす。
二日目の分散会は、さらに感動を覚えた。軍事費をけずって福祉・暮らし充実をという一般的なテーマだったけど、内容には恐れ入った。例えば,8月6日と9日の原爆投下時間に合わせて,お寺や教会がいっせいに哀悼の鐘をならす取り組みに数年かかったこと、沖縄の海上基地建設計画にたいして、そこを流れる黒潮海流を阻害することになると、自然環境の立場で異論をとなえた運動がおこなわれていること。世界第二の軍事費を持つ日本なのに、イラクを占領する米軍兵士の数と自衛隊の総員は同じであるのは、自衛隊員一人当りの軍事費がべらぼうに高いこと、などなど参加者からの発言はなるほどと感銘を受けるそのものだった
かって私が都議会議員の2期目の時、多摩のサービスセンターという米軍基地の撤去が問題になっていた。私は、この基地に面してある川崎街道が基地の部分だけ幅が狭く、自動車の渋滞がはげしい、この解消には基地の一部を削って道路用地にさせようと提案して、結果的には基地の一部返還という形で道路が広くなった。
平和運動は、ちょっと目線を変えるとなかなか楽しいものだ。深刻な顔をしていなくても、先がみえてくる。今年の原水爆禁止世界大会は、そんなちょとした目線が世界を動かしているすごい大会だったと思っているのは私だけではないのではないか。
15日の終戦記念日、私は、三軒茶屋の駅前でマイクを握りこの世界大会の報告を行なった。新幹線で四時間の距離の広島には今なお59年前の姿が生きていた。忘れてはならない戦争を体験しているのは、国民の3割しかしない。戦後っ子の私の戦争を語り継ぐ使命は大きいことも痛感した大会だった。
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